謹賀新年っ! なんだけど! あいつ、来んのかよ!
元日の朝六時。大型スーパーの初売りが始まるまであと十分。私立望月女子高校二年生、宇佐神子(うさ・みこ)は後輩の到着を待っていた。野菜などのダンボールが大量に積まれた商品搬入口。その真ん中に、神子は巨大な毛筆を長刀のように構え、真っ赤な顔で仁王立ちしていた。
壁の時計を見る。おい、あと十分じゃねえか。もう、ほんと、マジなかったことにして帰るかコレ。バイト代は惜しいけど、一人で全部やるよりずっといい。
スーパーの店員たちは忙しそうに周囲を走り回っているが、神子の姿をチラチラ見ては通り過ぎていく。今日のイベントのために、後輩の因幡白子(いなば・しろこ)が大晦日に家まで持ってきた衣装は、なんと巫女の服だった。
「先輩っ、これ力作でしょ?! これで明日一緒に頑張りましょうね!」と涙目で言ってきたので、ちょっともらい泣きしたが、帰った後、ビニール袋からドンキのレシートが転がり出てきた。なんと素晴らしい後輩だ。ごまかしてもいい。証拠くらいは隠滅して。
だが、神子は律義だ。初売りのオープニングイベントの衣装としてきっちり着てきた。ところが、開演三十分前に来たところ、白子は来てないし、携帯にもまったく出ないし、さらにスーパーのおっさん店長が、神子の格好を見て困った顔をする始末。
「あれ? 干支のウサギの格好をしてくれって頼んだんだけど……。ウサギっぽくないとダメだよ。話聞いてなかった?」
というわけで、店長が急いで事務所から持って来てくれたウサ耳のかぶりもの(なぜある)を渡されて、頭につけさせられた。いや、ウサ耳付きの巫女ってどう考えてもおかしいよね。正月早々、なんの拷問だ――。
白子に十回はコールしたけれど返信ゼロ。そして、とうとう開演三分前。
「ほら、開けるよー! 女子高生ちゃん、こっち来て!」
搬入口の外で、禿げあがったエビス顔の店長が呼んでいる。白い息を吐き、手には陣太鼓を持っている。やめて、女子高生ちゃんと呼ぶな、恥ずかしいから! 涙を振り絞りつつ、店長の出囃子の合図で、神子は巨大毛筆を持って外を見た。初売りは恒例行事で、たくさんの人垣が見えた。――死にたい。足がすくむ。
「神子ちゃん、ごめんね!」
そのとき、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。搬入口の外に、白子の姉、垂穂(たるほ)さんがゴージャスな毛皮のコートに身を包んで立っていた。何でこんな時間に垂穂さんがいるのか分からない。しかもどうして謝られたのか。神子は呆然とした。
「垂穂さん?!」
「ついさっき、寝起きの白子から電話があったの! 神子ちゃんがピンチだから行ってくれって!」
神子は状況を把握したが、同時に腹も立った。垂穂さんに電話するより先にこっちにかけてくるべきだし、ピンチを作ったのは寝坊したアンタじゃないか!
だが、駆け寄ってくる垂穂さんの格好を見て、怒りも一瞬で吹っ飛んだ。毛皮のコートの下は真っ赤なハイレグと黒い網タイツだった。垂穂さんはこの近くのキャバクラに勤めているのだ。お姫様みたいな豪華なネックレスもつけたまま。仕事中だったのか。
「あたし、年越しパーティ中だったんだけど、神子ちゃんを助けたくて跳んで来たの。ごめんね、着替えてる暇がなくて」
「えっ? あ、はい、大丈夫です」
大丈夫って何が。
「書き初め巫女ガールズなんだよね? 巫女服なら、お店のをちゃんと持ってきたからねっ!」
垂穂さんは満面の笑顔でピースして、手に持ったクリーニングの袋を掲げた。中に白い巫女服が入っている。
「あ……えっ?」
神子が戸惑う間に、垂穂さんは毛皮のコートを脱ぎ、迷いなく頭から巫女服をかぶった。胸がガバッと開いた巫女服で、裾丈も異常に短い。お店用の寸法なのか。裾の下から黒い網タイツの足がむっちりと伸びている。目の前で見ると、壮絶なエロさだった。
垂穂さんは二十歳。来週は成人式。だけど、いくら妹の尻拭いとは言え、どうしてこんな格好をしちゃうのか。美人で、スタイルもよく、髪もブロンドのお姫様みたいにきれいで、化粧もバッチリで、まぶしいくらいすっごい笑顔。生まれ持ってのスーパー・サービス精神だ。圧倒されて、ここまで来ると、惚れる。
「おーい、女子高生ちゃーん、セレモニー始めるよ。急いで! ウサギの耳、忘れずにね!」
搬入口の外で店長がまた呼んだ。垂穂さんは笑顔で手を振る。
「はーい! 行きまーす!」
「あれっ? 『ムーンライト』のるなちゃん?」
店長は首を傾げた。
そして、垂穂さんは深呼吸し、神子の空いた左手をぎゅっと握った。
「白子のことはごめんね。あたしが一発殴っとくから」
「えっと……あの、お願いします」
いや、殴らなくていいんだけれど。でも、何だか甘えたい気分だった。
「じゃあ、行くよ。お客さんはあたしが沸かすから、書き初めは頼んだよ! ねっ!」
手が温かくて涙が出そうだった。
「でも、えっと」
「いっぱい練習してきたんでしょ?! 根性見せなさい!」
「――う、うんっ!」
垂穂にバンと背中を叩かれ、握った手をぐいっと引っ張られた。二人して外へ向かって駆け出す。搬入口から冷たい風が吹き込み、吐く息がさらに白くなる。でも、体の中から湧き出す勇気はもっと熱かった。
お店の前には開店を待つ人たち行列ができている。毎年、望月女子高校の書道部がやる新春書き初めパフォーマンスを楽しみにしていた。開店するまでの五分間、カウントダウンをしながら、書道部に受け継がれる巨大な筆で、今年の干支をでっかく書き上げるのだ。
店長の出囃子を合図に、スーパーの男性店員が一台の和太鼓を力いっぱい打ち鳴らし、一気に熱気が高まったところへ、二人のかわいいウサギ巫女が颯爽と登場すると、おおおっと歓声が湧いた。新年を祝う拍手が巻き起こり、「かわいい~!」と応援してくれる女性客もたくさん混じっていた。
予想以上に人が多くて、神子はすさまじく緊張したが、和太鼓のリズムに乗って華麗に踊り、愛嬌を振りまく垂穂さんが一緒にいてくれて、心の底からほっとした。一人だったら、冗談じゃなくウサギみたいに死んでいた。
神子は靴を脱ぎ捨て、足袋で、ビニールシートが敷かれた特設ステージに昇った。巨大毛筆をドンッと立て、受け継がれてきた伝統から少し元気を分けてもらう。そして、黒ペンキの入ったバケツに筆を突っこみ、じゃぶじゃぶと浸した。ステージには巨大半紙がセットしてある。
そのとき、行列の人垣と、書き初めの特設ステージの間に、突然、酔っ払った若い男の人たちが何人か駆け込んできた。横入りではないのだが、垂穂さんも神子も少し驚いた顔をする。男の人たちはみんな手にシャンパンのビンを持っていた。
「るなちゃーん! 応援に来たよー!」
「えっ、お店から来たの? ありがとー!」
垂穂さんはぴょんぴょん跳ね、笑顔で手を振って応えた。ステージのバックには、しめ縄や御神酒の樽が飾られていて、少し神聖な雰囲気もあるが、こんなに跳ねる巫女がどの神前にいるものか。大きな胸がゆっさゆさと揺れて、店長も嬉しそうに手を叩いて楽しんでいる。元日から、アイドルショーみたいに笑顔を振りまき、大いに観客を沸かせている垂穂さん。そうだ、この人、相当酔ってるのだ。
「いやー、るなちゃんが戻ってくるのが待ちきれなくてさぁ!」
「じゃあ、行くぞ、せーの!」
男の人たちは手に持ったシャンパンを思いきり縦に振った後、一斉に栓を抜いた。そして、まさにテレビで見たF1のシャンパンファイトみたいに、ステージ上の垂穂さんに向かって激しくシャワーを浴びせた。うわあっ!と後ろの人垣も騒いだが、どこかで「めでたいっ!」と一声あがると、場の雰囲気は一気に歓迎ムードに覆われてしまった。
垂穂さんは巫女の服がびしょびしょに濡れて、ますますテンションが上がり、にやりと甘美な笑みを浮かべた。そして、ちょうど建物の陰から初日の出が差し込むと、ウサギの巫女は天から降り注ぐ光に照らされ、壮麗な黄金色に輝いて見えた。
だが、その後ろで、神子は筆を引き抜き、ブチ切れた。危うくぶん回すところだった。
「ちょっと! ふざけんなっ! 半紙が濡れちゃうじゃない!」
すると、垂穂さんは噴き上がるシャンパンシャワーを遮るかのように、店から持ってきた金色の扇子を胸から取りだし、バサッと両手に広げ、仁王立ちした。酒に濡れ、酔った巫女ウサギはもうまったく寒さも外聞も関係ない状態だ。
「そうよ! あんたたち、かけるならこっちのウサギにかけなさい!」
垂穂さんがくるりと回ると、開店待ちの行列から再び歓声が上がる。神子は顔にかかった酒の雫を袖でぬぐい、大きな筆の先を、真っ白な半紙にドスン!と力いっぱい叩きつけた。
(おわり)
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