★お題:「ガチムチ」「ムチムチ」が登場する色っぽいバレンタインデー小説
薄暗いバーカウンター。女はミニスカートから伸びるむっちりとした太ももを組み直した。大きな胸が窮屈そうにドレスからこぼれそうになっている。女は真冬でもこんな感じだった。巨乳は賛否両論だが、太ももは正義だ。これはいつの時代も変わらない。
「二月七日って何の日か知ってる?」
「ん? ああ、知ってるよ。山脇東洋によって日本初の人体解剖が行われた日だろ?」
男は当然来るであろう問いに自信満々で答えた。さっぱりした坊主頭にがっしりした体格で、上はタンクトップ一枚だ。男は真冬でもこんな感じだった。男に特にコメントはない。これはいつの時代も変わらない。
「それは知らないけど、仇討ち禁止令が出された日よ」
「仇討ち? そんなもの最初からダメじゃないのか?」
「どうかしら。でも、まあ、そんなわけだから今夜はお休みなの」
「それは……君の零距離まで入っていいということか?」
「それはお互いの気分次第。わたしはまだあなたに気を許してないわ」
二人はFacebookで知り合った。世界中で数億人が登録しているという、実名を入れるソーシャルネットワークサービスだ。ハーバード大学出身の若き天才が作ったサイトだが、詳しくはデビッド・フィンチャーにでも聞いてくれ。適当に答えてくれるだろう。それはともかく、Facebookのプロフィール欄は、社名や仕事内容や趣味・技能、家族の有無や恋人の有無、あるいは主義・主張や何属性かなどを詳しく書くのが通例で、もはやオンラインの巨大なアドレス帳と化している。
さて、二人はプロフィールの職業欄に、女はラウンドガール、男はアメフトプレイヤーと書いていたが、年末から仕事に困っていて、職業欄を『殺し屋』と正しく書いた。そうしたら、誰がどういう意図で検索したか、翌日から捌ききれない(裁ききれない)ほど仕事の相談が舞い込むようになったのである。警察らしき人物からも「失礼ですが、本業ですか?」という大変紳士的で丁寧なメールが届いたが、もちろん丁重に否定した。証拠は残さない。ただひとつ学んだのは、事実を書くと思わぬ恵みがあるということだ。
まさかと思って同業者を検索すると、ごく近所に住んでいるお互いがヒットした。実はこのとき、まだ二人は知り合っていなかった。そう、偶然の一致だったのだ。
話を元のバーカウンターに戻すとしよう。殺し屋の二人が恋に落ちるなど、某スミス夫妻の何番煎じか分からないが、そこまで同じ符号を持った二人が数日間オンラインで当たり障りのない世間話を交わした後、「会いましょう」と言うまで時間はかからなかった。もちろん、相手が『殺し屋』と書いてあっても、単に嘘をついていて普通の人かもしれない。それはそれで、もし心と体の相性が合えば、正体を隠し続けて次のデートをするなんてのも問題ないかもしれない。男と女なんてそんなもの。お互い、会う直前までそう考えていた。
「あ、本業ですね」
「あ、本業ですね」
どちらが先に言ったか、あるいは同時だったか、一流の察知能力を持った二人は、瞬時に相手も同業者だと見抜いてしまった。
ただ、それで永遠の別れが来たかというと、むしろ高らかに笑い飛ばして、妙に納得してしまったのである。しかし、初めてのデートは下手に探り合いをせず、お互いの表の姿、つまりラウンドガールとアメフトプレイヤーの写真を交換するなどして平穏に終わった。いきなりベッドシーンなんてのはチープなハリウッド映画だけだ。
そして、今夜が二度目のデートである。少し気を許した二人は、前回より露出の高い格好になって店に来た。膝丈のスカートがすれすれのミニスカートになり、ラフなTシャツがより健康的なタンクトップになったのだ。それなのに、二人の間には席二つ分が空いている。
全国のハードボイルドファンに問いたい。これは、デートなのか。
一人以外誰からも答えが返ってこないが、言っておこう。たぶん、デートである。
初老のバーテンダーが二十年変わらぬ調子でゆったりとカクテルを作る。女の悠然とした胸の前にブラッディメアリーが置かれ、男の躍動する括約筋の前に少し濁った特製カミカゼが置かれる。定番のオーダーである。飽きるまでこれを飲む。だが、飽きることはない。
女が先に口を開く。
「バレンタインは一週間後ね。かき入れ時になりそうだから、今年は奮発して新型の毒薬を買ったの。胃にも残らないのよ」
「消したい相手にチョコを贈る感覚が分からないな」
「冷静なわたしには、ブチ切れた女の神経なんて分からないわ。そういう依頼なんだもの」
「ホワイトデーのお返しがもらえないじゃないか」
「保険金が来ればいいのよ。三倍どころじゃないわ」
この会話は近くのテーブルの酔客にも聞こえているはずだ。どっちもブチ切れていると思っているか、隣りの女を口説くことに必死か、向かいの男の年収を推測するのに必死だ。とにかくこんな会話だから、二人を隔てる空席二つはずっと空いたままである。
「ねえねえ、最近は友チョコなんてのもあるのよ」
「消したい相手にチョコを贈る感覚は同じなんだな」
「友チョコのほうが外側のチョコは豪華なんだけど、報酬は低めなのよね」
「それ、友チョコって言ったけど、本当に友達なのかな」
「ターゲットの女性はFacebookに恋人なしと書いてある確率97%ね」
「100人以上の依頼がないと出ない統計数字だな」
「明日から休みなしよ」
「外側を手作りする必要なんかあるのか?」
「冥土の土産というやつかしら。それとも母性本能? 子供の頃ちょっとパティシエに憧れてたのよ」
「君はエプロンも似合いそうだな。横から見たい」
「ちょっと期待してるかもしれないけど、あなたのはないわよ。まだ気を許してないし、仕事優先なんだからね」
「それで結構。俺はプロテイン入りでないと何も食べられない」
「難儀ね。そのカクテルにも入ってるの?」
「無論。離乳食からそうだった」
男は乳濁色のカミカゼを飲み干し、おかわりを求めると、初老のバーテンダーは軽く会釈した。女もついでに新しいのを頼んだ。
「なんかうっかりわたしの話ばっかりしちゃったけど、あなたはどうなのよ」
「何が?」
「仕事よ」
「実は――君の話を聞いて少し困っていた。チョコを贈ってきた女に毒見させて欲しい、というのが数件ある」
「数件ねぇ……。鋭いのか鈍いのか分からないわね。その数件以外は?」
「それは丸ごと君の成功報酬になるんじゃないか?」
「優しいのね」
「残念ながら、俺のかき入れ時はもう一ヶ月後だ。君にも数件来るんじゃないか?」
「数件じゃ済まないわよ」
「厳しいな。まあ、今の依頼主がどれくらい生き残ってるかも分からないしなぁ」
男は、ふうと溜め息をつき、グラスを傾けた。今夜は女より少しペースが早かった。
「ねぇ」
「なんだい?」
「本当にわたし、エプロンが似合うと思う?」
「思うね。三度目は言わないけれど、二度は言う。横から見たいね」
「あのね、予約したチョコが重すぎて、受け取りに行くだけでも大変なの。手伝ってくれる?」
「……まったく、君はどんなサイズのを作る気だ?」
「仕方ないじゃない。毒薬を薄める濃度を計算したらそうなっちゃったのよ」
女はクスッと笑ってグラスを持ち、男の隣りの席まで寄ってきた。ホワイトチョコみたいに甘く香る胸は、間近で見るとさらに強烈な迫力があるが、そんなこともよりも太ももは正義だ。男はそれだけで十分だった。一方、女はそばでじっくり見つめる。男の逞しい肌はチョコレートコーティングされたように見事な褐色だった。Facebookで確認したターゲットの軟弱な男たちと比べると、その存在感は圧倒的だった。
顔を上げると、男に、瞳を見られていた。体の芯がとろりと熱くなる。
「どうしたんだ」
「――今日は肉体解剖の日よ」
「そうか。じゃあ、仇討ちもなしだぞ」
女はうっとりと微笑み、男の頑丈な肩に身を寄せる。
「お酒飽きちゃった。最後の一杯にしましょ。ちょっと多めに出すわ」
「なら、君の成功を祈って」
グラスを合わせ、美しい音色を零距離の夜に奏でた。
(おわり)
あとがきは「続きを読む」から。
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テーマ : 超短編小説
ジャンル : 小説・文学