2013年賀小説「後輩書記とセンパイ会計、蛇道の苦悩に挑む」(作:青砥十、画:葛城アトリ)
開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば徳川将軍家の縁者にだってなれただろう。二代将軍秀忠の娘、そして三代将軍家光の姉にあたる、珠姫という女性は、幼くして政略結婚で前田家に嫁入りしたが、その先で夫と仲良く過ごすほど無垢で純粋な人だったらしい。年末にテレビでそういうドラマを見たせいもあるが、ふみちゃんは、背が小さくてふんわりした雰囲気があるが、目を見張るほど華やかで美しい着物を着て神社に参拝に来たとき、なぜかそういう可愛らしい純心な姫に重なったのだ。
一方、わけあって蛇の神社にふみちゃんと一緒に来た一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの和服音痴で、数学が得意な理屈屋で、蛇に合わせてフレームの表面が少しざらっとした眼鏡にしたことだけが今日のこだわりだった。
今日は一月十一日、初詣には少し遅い日である。ふみちゃんは家が神社なので、正月の一週間ほどは巫女として家の手伝いをする。もちろん、僕はふみちゃんの家の神社にも元日から参拝したのだけれど、やっぱりふみちゃんが働いていると落ち着かないというか、少し日を改めて別の神社に行こうかな、と軽い考えで提案してみたのだ。
「数井センパイ、それなら、鏡割りの日に蛇の神社に行きましょっ」
「あ、ああ」
鏡割りの日がどんなものか知らなかったので、すぐなのかもっと先なのか不明だったが、とりあえず頷きながらふみちゃんに聞いてみると、鏡割りはもともと一月二十日だったけれど、三代将軍の徳川家光がその日に亡くなったので、それ以来日本では二十日に行うことは自粛され、一月十一日になったそうだ。その説明では鏡割りの行事のことも、蛇とのつながりも全然つかめなかったが、とにかく、幸福を呼ぶとされる白蛇を祀ってある神社が少し離れた町にあり、バスで行けるからセンパイの自転車の後ろじゃなくて大丈夫、と行き先も行き方もとんとんと決まってしまい、僕はただその参拝プランに同意するしかなかった。
当日になり、バス停に少し早めに着いて待っていると、なんとふみちゃんが正月の巫女服とはまったく違う振り袖姿で現れたのだ。髪をアップにし、花かごみたいな髪飾りをつけ、きれいな赤い生地の着物に百花繚乱のごとく色とりどりの花柄が刺繍されている。しっかりした帯と小さな手提げバックは落ち着いた金色でそろっていて、絶妙な調和だった。こういうのは自分で着付けするのは大変だろうから、お母さんにやってもらったんだろうか。ということは、ふみちゃんが僕と外に出かけると知っていて、こんなすごい振り袖を着せたのだろうか。
「数井センパイ、そのマフラー新しいですね」
バスが来るまでの間に僕の格好を見て言った。眼鏡や服は新品でなく、マフラーだけがお年玉で早速買ったものだった。コートやパンツは濃いグレーで、赤い柄を織り交ぜた黒いマフラーを巻いていた。白蛇の神社に行くのに、まさか赤で一致するなんて。
「うん、買ったばかりなんだ」
「赤が一緒で嬉しいです」
まっすぐ微笑まれると、僕も変に照れ臭く、もちろん嬉しかった。
バスでのんびり行くわけだが、ふみちゃんが語り出した蛇神の話は結構重たかった。
「縁起がいい話と、縁起が悪い話、どっちを先に聞きますか?」
何かそういうわざとらしい台詞がある洋画もある気がするけれど、そんなことより、僕はよくわからない判断を迫られた。普通、縁起がいいほうを先に聞きたくなる。前者を選ぶと、ふみちゃんはぐっと身を寄せてきた。バスの中は混んでないが、座席は結構狭い。こっちがコートで向こうが着物だから余計そうなのかもしれない。しゅるるっという着物のすれる音がお正月らしくて新鮮だ。
「鏡餅って何であんな形かと言うと、白蛇をかたどったものとも言われるんですよ」
「蛇? そうかな?」
ふみちゃんが言うことはきっと十分なくらい下地の知識があることなのだけど、僕は二段重ねの餅にみかんの載ったものが白蛇とは頭の中で重ならない。が、ふみちゃんは構わず続ける。
「もちろん、神事で使われた青銅の鏡をかたどってるんですが、二段に重ねた形は蛇がとぐろを巻いた形で、本当にお餅を細長くして蛇のとぐろみたいに巻く地方もあるんですよ」
と、手で餅をこねるような仕草をして話す。僕は頭の中で大きな鏡と蛇のイメージが一応出会いはしたが、幾何学的な検討の結論として餅にはならず、みかんが『おい、俺はどうした』という感じでふて腐れていた。自販機で買ってきたペットボトルのお茶を飲む。
「……それが、縁起がいい話?」
「うん」
シャラッと紅白の髪飾りが揺れる。きれいな黒髪にぴったりだ。
「で、縁起の悪い話は?」
「着いたら話しますね」
まさかの引きだった。あと三つくらいはバス停あるのに、ふみちゃんは別の話を始めたが、縁起が悪いことが気になって頭に入ってこなかった。
バスから降りて少し歩いたところに『蛇道明神』という古めかしい看板がかかった立派な赤い鳥居が立っていた。これも赤だ。境内を眺めると、参拝客はいるけれど初詣のシーズンを過ぎたせいか、人の数は少なくて寒々しい感じだった。特に考えもなく、『蛇道明神』という看板を見直す。
「神社――ではないんだね。蛇だから?」
「数井センパイ、違います。明神は、古い社(やしろ)の証拠なんですよ」
今年も早々に否定されてしまった。たぶん僕がそんな質問をするとは思ってなかっただろうけど、ふみちゃんも条件反射的に正しい説明を返してくる。
「古い神社?」
「神社っていう言い方は、近代になってからなんですよ。それまであまり統一した名称の付け方はなくて、神宮とか明神とか権現とか八幡とか天神とかいろんな呼び方があります。もちろん、神道系と神仏習合系では違うんですけど、神社と呼ばれてないところはみんな歴史が古いんです」
「へぇ……そっかぁ」
としか答えようがなかった。僕でも知っている有名なものだと、明治神宮、湯島天神、伊勢神宮、北野天満宮、出雲大社とか――確かに神宮や天神などいろいろだ。もっとも、違いは全然わからない。
「じゃあ、ここは歴史が古いんだね」
「蛇は水をもたらす神様と言われ、昔から信仰されてたんです」
ふみちゃんの話では、明神とは、神は仮の姿でなく明らかな姿で現れるという意味で、日本に仏教が伝わり広まった時、神と仏の関係は何かの議論があり、神は仏の信者を守護するという形で落ちついたらしい。それが神仏習合というもので、明神はそのひとつだという。つまり、ここは蛇の神様で、仏教の信者も守護するという器が大きい存在なわけだ。守護するという言葉を聞いて、蛇がとぐろを巻いて人を護ってくれる姿が浮かんだ。
「でも、数井センパイ、ここは江戸時代に蛇責めの刑に遭った女性が塚に祀られてるんです」
いきなり言った。
「へっ、蛇責め? 神様の蛇を攻撃したりするのか?」
「数井センパイ、違います。人が全身を蛇に噛まれる刑です」
一気に寒気が走った。全身を――蛇に――噛まれる。そんなの確実に毒で死んでしまうじゃないか。バスの中でふみちゃんが言いよどんだ縁起の悪いことはこれなんだろうか。たぶんそうだ。顔をのぞくと、ふみちゃんも思いつめた表情をしている。
「すさまじい処刑方法だね……。それって日本の話?」
「江戸時代、政略結婚のために地方へ嫁いだ将軍家の姫様がいたんですが、結婚した旦那さんとすごく仲良くなって、将軍家のことを結構ぺらぺらしゃべってしまったらしいんです。江戸からつかわされた乳母がその失態を知って、姫様を折檻してらしくて」
「それで、姫様が蛇に?」
「――数井センパイ、違います」
少しむっとした表情でぴしゃりと言い返された。確かに途中で話を切るべきでなかった。
「姫様は旦那さんと一緒に過ごせないと気に病んで、衰弱死してしまったそうです。で、死ぬ寸前に姫様の本音を聞いた旦那さんが怒りに狂い、乳母を呼び、領内から集めた無数の蛇で処刑したんだそうです」
重かった。重すぎて胃が痛くなるほどだ。僕の表情は完全に凍り付いていた。何で新年の鏡開きの日にそんな無残な処刑方法をじっと聞いているのか。ふみちゃんの振り袖を見られて軽やかに躍った僕の心は、冷水を浴びたように固まり、蛇にでも睨まれているような心地だった。
「あの……数井センパイ、すいません。今日は――そういう女の恨みがこもった帯の供養に来たんです。この、蛇みたいにぐねぐねと宙をうねる帯の供養に……」
ん?
蛇みたいに宙をうねる、帯?
しかし、ふみちゃんの帯は背中から腰にちゃんときれいに付いている。バスで座った程度で乱れはない。ただ、やっぱり――そういう事態ではないようだ。手提げバッグに入れてきたらしき愛用の花柄のしおりが、そこから新年らしく威勢よく飛び出し、きゅるきゅると宙を舞い始めた。こういう異常事態は前にもあった。まあ、そんな恨みの宿ったものの供養に来たのなら、普通に終わるわけもない。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「何が……蛇みたいに……?」
「帯です。帯の一端が蛇の頭みたいになって、数井センパイと私のまわりをうねってます」
えっ! 僕もちょっと巻き込まれてるのか! これはどうしたらいいんだ。帯はどこも乱れてない。普通のままだ。
「そいつは……神社に入れば……収まりそうなの?」
「むしろ『蛇道明神』に近づくほど元気になりますね。でろんでろんの、ぐわんぐわんに」
ふみちゃんの口にする擬態語が逃げ出したいほど不気味だった。もう何か帯だか蛇だかわからないものがかなりの躍動感で踊り狂ってそうだ。しかも神社――いや明神に近づくと余計に勢いが増すとか。もう引き返すしかないんじゃないか? だいたい、自分の家の神社で払ってもらったほうが良かったんじゃないのか、と僕は頭を抱える。頭を抱える一方、足が動かない。足が自分の意思に反して動かないのだ。蛇に睨まれた心地は、もしかすると体が感じ取っているのかもしれない。
そんなことがあるなんて、やっぱり信じたくないけれど。でも――僕の足は石段を昇れない。さっきからずっと赤い鳥居の前で二人で立ち尽くしているなんて、おかしいわけだ。蛇状になった帯が――いま僕たちを進むことも戻ることも出来ない状態にしているのだと、仮定したら。
問うべきはひとつだ。

「悪いけど、恨むのはお門違いだ」
「えっ……?」
ふみちゃんが目を丸くして驚く。さっきまで蛇責めを受けた乳母の恨みを切々と語っていた口が、少しポカンと半開きになった。
「恨むなら、窮地から逃げられなかったことを恨むんだ。その足があったはずだ」
「足は……」
本当はなかったのかもしれない。身の危機を感じても遅かったのかもしれない。蛇に睨まれた存在のように。姫様の旦那は藩の領主だ。もうぐるりと身辺を囲まれ、退路がなかったのかもしれない。
「ただ、這ってでも跳ねてでも――何とか逃げられたんじゃないのか? 姫様がそういう遺言を旦那に残すことも、怒り狂った旦那に殺されることも、予想できたんじゃないのかな?」
けれども、生き延びられなかった。足がすくんだのだろう。だったら命が尽きるとわかったとき、現世に無念を残すより、清らかに神の守護を求めても良かったんじゃないだろうか。
ふみちゃんと向き合い、黒髪を撫で、目と目をしっかり合わせ、お互いに緊張と疑心で高ぶった気持ちをなだめるように言い聞かす。
「姫様を、責めるな。旦那さんを、恨むな。姫様は救いのない人だったか? 姫様は不幸だったか? 純粋に生きてたんじゃないのかな」
こくん、と頷いた瞬間、僕はふみちゃんをきゅっと優しく抱き寄せた。しゅるしゅると着物とコートがこすれる音がする。帯に気を付けながら、子供をあやすように背中をゆっくりやわらかくポンポンと叩いてあげる。
寒空の下で、ふーっと温かいふみちゃんの吐息が胸に当たった。
「――数井センパイ。あのね……ちょっとだけ、違います」
蛇がどうとか帯がどうとか言い始めてからずっと沈黙し強張っていたふみちゃんが、ようやく口を開いた。
「ん? 何が違う?」
「姫様は……不幸な人でした」
もう、今となってはそういうことではないのに。純粋な生き方は認められるのに。
「そうか?」
「自分を守ってくれる大切な人と、長く一緒にいられないなんて……姫様は不幸な人でした」
ふみちゃんはもう一度深く僕の胸に顔を埋めて、ふーっと息を吐き出した。こんな場所に立ち尽くしたままは寒いけど、もう少しの間しっかりと抱き締めた。今日の縁起が悪いことは、もうこれきりで本当に終わって欲しかった。
いつの間にか空飛ぶ花柄のしおりの姿は消え、手提げバッグに戻ったのかどうなのか、僕にはわからない。ただ、僕たちの足はまた動いた。石段を昇り、『蛇道明神』の看板を見あげながら赤い鳥居をくぐる。帯が蛇のようにうねったというのも、ふみちゃんの言葉から消えていた。草履が歩きにくいのか、僕の左腕に腕をめいっぱいからめながら、「うんしょ、うんしょ」とつぶやいて一緒に石段を昇った。恨みを残した女を語り出した時はひやりとしたが、もう今はただの背が小さい振り袖姿の女の子だった。
最後の石段を昇り終えると、赤い着物と金の帯によく映える笑顔がぱっと咲いた。
「数井センパイ、嫉妬ですよ」
急だった。いや、僕は何にも目移り気移りしてなくて、今日はずっとゆっくり歩くふみちゃんを見守ってるじゃないか。
「帯が蛇みたいになるのは、嫉妬の気持ちらしいです」
「ん、そうなのか……?」
いや、帯が蛇みたいに――を信じているわけじゃないけれど。一応、調子に合わせて相槌を打った。
「乳母だって、きっとよその家は恐かったんです。なのに、純粋に旦那さんに心を預けて溶け込んでいる姫様を見て、心がぐねぐねとねじれたのかもしれないです」
それは、確かにそうなのかもしれない。自分が越えられない心の囲いを、まるで羽が生えたように楽々と越えてしまう人を見て腹が立つこともあるだろう。だけど――と僕は考える。
「乳母の側だけ見れば、姫様に葛藤がなかったふうに聞こえるけど、それは違うかもしれないね。一緒にいる人が大事なら、自分が変わることもあるんじゃないかな」
目が合った。
「ふふっ。どうですかね、センパイ。変われますか?」
ふみちゃんはほんの少し僕を試すような笑顔だった。
「……どうだろうね」
昔の話だからね、と僕は話を締めくくった。
蛇道明神の中の建物はどれもこじんまりしていたので、どれが本殿でどれが祠か区別がつかないので、ふみちゃんの巡るがままにくっついて全部に拝み、お賽銭をした。狛犬代わりに白い石で出来た蛇の像がいくつもあったり、社殿の欄干や壁にかかった額縁などにも白い蛇の絵があちこち描かれていて、普通の神社とは雰囲気が違った。最後に社務所に寄って、厄除けの蛇の御守りを買い、満足した表情でふみちゃんは僕の顔を見あげた。
「済んだ?」
「済んだ」
すぐに頷いた。全部やることを果たしたのだと思う。
「蛇ってさ、金運が良くなるんだっけ?」
「数井センパイ、違います。水の守護神ですよ」
確か、蛇の皮か抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まるとか聞いたような気がするが、水の守護と言われても、結局何を護ってくれるのかピンと来なかった。まあ、蛇の抜け殻とかも迷信なんだろうか。そんなものでお金が貯まるのも変だ。
帰りのバスの時間を調べてこなかったな、と考えながらまた鳥居をくぐり、石段を下りた。
「数井センパイ、いい鏡開きでしたね」
「え、そうかな」
さっき蛇の囲いだか女の嫉妬だかに巻き込まれたような気もするけれど。ふみちゃんはあれも織り込んでいい鏡開きだったと言っているのかな。顔がすっきり健やかだから何も問い返せなかった。
「うちは鏡餅を開いたら油で揚げてあられにするので、生徒会室のおやつに持って行きますね」
並んで食べるところを想像するとすごく嬉しいんだけど、鏡餅が蛇のとぐろをかたどってるとか言われたものだから、何だか少し背中がゾワゾワする感じだった。あんな由来、聞かなかければ良かったと内心後悔しつつ、ぐっと飲み込んだ。
「うん、いいね。楽しみにしてるよ」
「袋いっぱい持って行きます!」
どんな袋サイズかわからないが、それを考えるのはやめ、帰りのバスで温まりながら帰路に着いた。帯の出来事があったせいか変な脱力感があり、ふみちゃんとは別に進展はない。しゃらっしゃらっとやんわり揺れる紅白の髪飾りを並んで見おろしながら、ふみちゃんを家の神社までゆっくり歩いて送り届けるだけだ。
(了)
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一方、わけあって蛇の神社にふみちゃんと一緒に来た一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの和服音痴で、数学が得意な理屈屋で、蛇に合わせてフレームの表面が少しざらっとした眼鏡にしたことだけが今日のこだわりだった。
今日は一月十一日、初詣には少し遅い日である。ふみちゃんは家が神社なので、正月の一週間ほどは巫女として家の手伝いをする。もちろん、僕はふみちゃんの家の神社にも元日から参拝したのだけれど、やっぱりふみちゃんが働いていると落ち着かないというか、少し日を改めて別の神社に行こうかな、と軽い考えで提案してみたのだ。
「数井センパイ、それなら、鏡割りの日に蛇の神社に行きましょっ」
「あ、ああ」
鏡割りの日がどんなものか知らなかったので、すぐなのかもっと先なのか不明だったが、とりあえず頷きながらふみちゃんに聞いてみると、鏡割りはもともと一月二十日だったけれど、三代将軍の徳川家光がその日に亡くなったので、それ以来日本では二十日に行うことは自粛され、一月十一日になったそうだ。その説明では鏡割りの行事のことも、蛇とのつながりも全然つかめなかったが、とにかく、幸福を呼ぶとされる白蛇を祀ってある神社が少し離れた町にあり、バスで行けるからセンパイの自転車の後ろじゃなくて大丈夫、と行き先も行き方もとんとんと決まってしまい、僕はただその参拝プランに同意するしかなかった。
当日になり、バス停に少し早めに着いて待っていると、なんとふみちゃんが正月の巫女服とはまったく違う振り袖姿で現れたのだ。髪をアップにし、花かごみたいな髪飾りをつけ、きれいな赤い生地の着物に百花繚乱のごとく色とりどりの花柄が刺繍されている。しっかりした帯と小さな手提げバックは落ち着いた金色でそろっていて、絶妙な調和だった。こういうのは自分で着付けするのは大変だろうから、お母さんにやってもらったんだろうか。ということは、ふみちゃんが僕と外に出かけると知っていて、こんなすごい振り袖を着せたのだろうか。
「数井センパイ、そのマフラー新しいですね」
バスが来るまでの間に僕の格好を見て言った。眼鏡や服は新品でなく、マフラーだけがお年玉で早速買ったものだった。コートやパンツは濃いグレーで、赤い柄を織り交ぜた黒いマフラーを巻いていた。白蛇の神社に行くのに、まさか赤で一致するなんて。
「うん、買ったばかりなんだ」
「赤が一緒で嬉しいです」
まっすぐ微笑まれると、僕も変に照れ臭く、もちろん嬉しかった。
バスでのんびり行くわけだが、ふみちゃんが語り出した蛇神の話は結構重たかった。
「縁起がいい話と、縁起が悪い話、どっちを先に聞きますか?」
何かそういうわざとらしい台詞がある洋画もある気がするけれど、そんなことより、僕はよくわからない判断を迫られた。普通、縁起がいいほうを先に聞きたくなる。前者を選ぶと、ふみちゃんはぐっと身を寄せてきた。バスの中は混んでないが、座席は結構狭い。こっちがコートで向こうが着物だから余計そうなのかもしれない。しゅるるっという着物のすれる音がお正月らしくて新鮮だ。
「鏡餅って何であんな形かと言うと、白蛇をかたどったものとも言われるんですよ」
「蛇? そうかな?」
ふみちゃんが言うことはきっと十分なくらい下地の知識があることなのだけど、僕は二段重ねの餅にみかんの載ったものが白蛇とは頭の中で重ならない。が、ふみちゃんは構わず続ける。
「もちろん、神事で使われた青銅の鏡をかたどってるんですが、二段に重ねた形は蛇がとぐろを巻いた形で、本当にお餅を細長くして蛇のとぐろみたいに巻く地方もあるんですよ」
と、手で餅をこねるような仕草をして話す。僕は頭の中で大きな鏡と蛇のイメージが一応出会いはしたが、幾何学的な検討の結論として餅にはならず、みかんが『おい、俺はどうした』という感じでふて腐れていた。自販機で買ってきたペットボトルのお茶を飲む。
「……それが、縁起がいい話?」
「うん」
シャラッと紅白の髪飾りが揺れる。きれいな黒髪にぴったりだ。
「で、縁起の悪い話は?」
「着いたら話しますね」
まさかの引きだった。あと三つくらいはバス停あるのに、ふみちゃんは別の話を始めたが、縁起が悪いことが気になって頭に入ってこなかった。
バスから降りて少し歩いたところに『蛇道明神』という古めかしい看板がかかった立派な赤い鳥居が立っていた。これも赤だ。境内を眺めると、参拝客はいるけれど初詣のシーズンを過ぎたせいか、人の数は少なくて寒々しい感じだった。特に考えもなく、『蛇道明神』という看板を見直す。
「神社――ではないんだね。蛇だから?」
「数井センパイ、違います。明神は、古い社(やしろ)の証拠なんですよ」
今年も早々に否定されてしまった。たぶん僕がそんな質問をするとは思ってなかっただろうけど、ふみちゃんも条件反射的に正しい説明を返してくる。
「古い神社?」
「神社っていう言い方は、近代になってからなんですよ。それまであまり統一した名称の付け方はなくて、神宮とか明神とか権現とか八幡とか天神とかいろんな呼び方があります。もちろん、神道系と神仏習合系では違うんですけど、神社と呼ばれてないところはみんな歴史が古いんです」
「へぇ……そっかぁ」
としか答えようがなかった。僕でも知っている有名なものだと、明治神宮、湯島天神、伊勢神宮、北野天満宮、出雲大社とか――確かに神宮や天神などいろいろだ。もっとも、違いは全然わからない。
「じゃあ、ここは歴史が古いんだね」
「蛇は水をもたらす神様と言われ、昔から信仰されてたんです」
ふみちゃんの話では、明神とは、神は仮の姿でなく明らかな姿で現れるという意味で、日本に仏教が伝わり広まった時、神と仏の関係は何かの議論があり、神は仏の信者を守護するという形で落ちついたらしい。それが神仏習合というもので、明神はそのひとつだという。つまり、ここは蛇の神様で、仏教の信者も守護するという器が大きい存在なわけだ。守護するという言葉を聞いて、蛇がとぐろを巻いて人を護ってくれる姿が浮かんだ。
「でも、数井センパイ、ここは江戸時代に蛇責めの刑に遭った女性が塚に祀られてるんです」
いきなり言った。
「へっ、蛇責め? 神様の蛇を攻撃したりするのか?」
「数井センパイ、違います。人が全身を蛇に噛まれる刑です」
一気に寒気が走った。全身を――蛇に――噛まれる。そんなの確実に毒で死んでしまうじゃないか。バスの中でふみちゃんが言いよどんだ縁起の悪いことはこれなんだろうか。たぶんそうだ。顔をのぞくと、ふみちゃんも思いつめた表情をしている。
「すさまじい処刑方法だね……。それって日本の話?」
「江戸時代、政略結婚のために地方へ嫁いだ将軍家の姫様がいたんですが、結婚した旦那さんとすごく仲良くなって、将軍家のことを結構ぺらぺらしゃべってしまったらしいんです。江戸からつかわされた乳母がその失態を知って、姫様を折檻してらしくて」
「それで、姫様が蛇に?」
「――数井センパイ、違います」
少しむっとした表情でぴしゃりと言い返された。確かに途中で話を切るべきでなかった。
「姫様は旦那さんと一緒に過ごせないと気に病んで、衰弱死してしまったそうです。で、死ぬ寸前に姫様の本音を聞いた旦那さんが怒りに狂い、乳母を呼び、領内から集めた無数の蛇で処刑したんだそうです」
重かった。重すぎて胃が痛くなるほどだ。僕の表情は完全に凍り付いていた。何で新年の鏡開きの日にそんな無残な処刑方法をじっと聞いているのか。ふみちゃんの振り袖を見られて軽やかに躍った僕の心は、冷水を浴びたように固まり、蛇にでも睨まれているような心地だった。
「あの……数井センパイ、すいません。今日は――そういう女の恨みがこもった帯の供養に来たんです。この、蛇みたいにぐねぐねと宙をうねる帯の供養に……」
ん?
蛇みたいに宙をうねる、帯?
しかし、ふみちゃんの帯は背中から腰にちゃんときれいに付いている。バスで座った程度で乱れはない。ただ、やっぱり――そういう事態ではないようだ。手提げバッグに入れてきたらしき愛用の花柄のしおりが、そこから新年らしく威勢よく飛び出し、きゅるきゅると宙を舞い始めた。こういう異常事態は前にもあった。まあ、そんな恨みの宿ったものの供養に来たのなら、普通に終わるわけもない。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「何が……蛇みたいに……?」
「帯です。帯の一端が蛇の頭みたいになって、数井センパイと私のまわりをうねってます」
えっ! 僕もちょっと巻き込まれてるのか! これはどうしたらいいんだ。帯はどこも乱れてない。普通のままだ。
「そいつは……神社に入れば……収まりそうなの?」
「むしろ『蛇道明神』に近づくほど元気になりますね。でろんでろんの、ぐわんぐわんに」
ふみちゃんの口にする擬態語が逃げ出したいほど不気味だった。もう何か帯だか蛇だかわからないものがかなりの躍動感で踊り狂ってそうだ。しかも神社――いや明神に近づくと余計に勢いが増すとか。もう引き返すしかないんじゃないか? だいたい、自分の家の神社で払ってもらったほうが良かったんじゃないのか、と僕は頭を抱える。頭を抱える一方、足が動かない。足が自分の意思に反して動かないのだ。蛇に睨まれた心地は、もしかすると体が感じ取っているのかもしれない。
そんなことがあるなんて、やっぱり信じたくないけれど。でも――僕の足は石段を昇れない。さっきからずっと赤い鳥居の前で二人で立ち尽くしているなんて、おかしいわけだ。蛇状になった帯が――いま僕たちを進むことも戻ることも出来ない状態にしているのだと、仮定したら。
問うべきはひとつだ。

「悪いけど、恨むのはお門違いだ」
「えっ……?」
ふみちゃんが目を丸くして驚く。さっきまで蛇責めを受けた乳母の恨みを切々と語っていた口が、少しポカンと半開きになった。
「恨むなら、窮地から逃げられなかったことを恨むんだ。その足があったはずだ」
「足は……」
本当はなかったのかもしれない。身の危機を感じても遅かったのかもしれない。蛇に睨まれた存在のように。姫様の旦那は藩の領主だ。もうぐるりと身辺を囲まれ、退路がなかったのかもしれない。
「ただ、這ってでも跳ねてでも――何とか逃げられたんじゃないのか? 姫様がそういう遺言を旦那に残すことも、怒り狂った旦那に殺されることも、予想できたんじゃないのかな?」
けれども、生き延びられなかった。足がすくんだのだろう。だったら命が尽きるとわかったとき、現世に無念を残すより、清らかに神の守護を求めても良かったんじゃないだろうか。
ふみちゃんと向き合い、黒髪を撫で、目と目をしっかり合わせ、お互いに緊張と疑心で高ぶった気持ちをなだめるように言い聞かす。
「姫様を、責めるな。旦那さんを、恨むな。姫様は救いのない人だったか? 姫様は不幸だったか? 純粋に生きてたんじゃないのかな」
こくん、と頷いた瞬間、僕はふみちゃんをきゅっと優しく抱き寄せた。しゅるしゅると着物とコートがこすれる音がする。帯に気を付けながら、子供をあやすように背中をゆっくりやわらかくポンポンと叩いてあげる。
寒空の下で、ふーっと温かいふみちゃんの吐息が胸に当たった。
「――数井センパイ。あのね……ちょっとだけ、違います」
蛇がどうとか帯がどうとか言い始めてからずっと沈黙し強張っていたふみちゃんが、ようやく口を開いた。
「ん? 何が違う?」
「姫様は……不幸な人でした」
もう、今となってはそういうことではないのに。純粋な生き方は認められるのに。
「そうか?」
「自分を守ってくれる大切な人と、長く一緒にいられないなんて……姫様は不幸な人でした」
ふみちゃんはもう一度深く僕の胸に顔を埋めて、ふーっと息を吐き出した。こんな場所に立ち尽くしたままは寒いけど、もう少しの間しっかりと抱き締めた。今日の縁起が悪いことは、もうこれきりで本当に終わって欲しかった。
いつの間にか空飛ぶ花柄のしおりの姿は消え、手提げバッグに戻ったのかどうなのか、僕にはわからない。ただ、僕たちの足はまた動いた。石段を昇り、『蛇道明神』の看板を見あげながら赤い鳥居をくぐる。帯が蛇のようにうねったというのも、ふみちゃんの言葉から消えていた。草履が歩きにくいのか、僕の左腕に腕をめいっぱいからめながら、「うんしょ、うんしょ」とつぶやいて一緒に石段を昇った。恨みを残した女を語り出した時はひやりとしたが、もう今はただの背が小さい振り袖姿の女の子だった。
最後の石段を昇り終えると、赤い着物と金の帯によく映える笑顔がぱっと咲いた。
「数井センパイ、嫉妬ですよ」
急だった。いや、僕は何にも目移り気移りしてなくて、今日はずっとゆっくり歩くふみちゃんを見守ってるじゃないか。
「帯が蛇みたいになるのは、嫉妬の気持ちらしいです」
「ん、そうなのか……?」
いや、帯が蛇みたいに――を信じているわけじゃないけれど。一応、調子に合わせて相槌を打った。
「乳母だって、きっとよその家は恐かったんです。なのに、純粋に旦那さんに心を預けて溶け込んでいる姫様を見て、心がぐねぐねとねじれたのかもしれないです」
それは、確かにそうなのかもしれない。自分が越えられない心の囲いを、まるで羽が生えたように楽々と越えてしまう人を見て腹が立つこともあるだろう。だけど――と僕は考える。
「乳母の側だけ見れば、姫様に葛藤がなかったふうに聞こえるけど、それは違うかもしれないね。一緒にいる人が大事なら、自分が変わることもあるんじゃないかな」
目が合った。
「ふふっ。どうですかね、センパイ。変われますか?」
ふみちゃんはほんの少し僕を試すような笑顔だった。
「……どうだろうね」
昔の話だからね、と僕は話を締めくくった。
蛇道明神の中の建物はどれもこじんまりしていたので、どれが本殿でどれが祠か区別がつかないので、ふみちゃんの巡るがままにくっついて全部に拝み、お賽銭をした。狛犬代わりに白い石で出来た蛇の像がいくつもあったり、社殿の欄干や壁にかかった額縁などにも白い蛇の絵があちこち描かれていて、普通の神社とは雰囲気が違った。最後に社務所に寄って、厄除けの蛇の御守りを買い、満足した表情でふみちゃんは僕の顔を見あげた。
「済んだ?」
「済んだ」
すぐに頷いた。全部やることを果たしたのだと思う。
「蛇ってさ、金運が良くなるんだっけ?」
「数井センパイ、違います。水の守護神ですよ」
確か、蛇の皮か抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まるとか聞いたような気がするが、水の守護と言われても、結局何を護ってくれるのかピンと来なかった。まあ、蛇の抜け殻とかも迷信なんだろうか。そんなものでお金が貯まるのも変だ。
帰りのバスの時間を調べてこなかったな、と考えながらまた鳥居をくぐり、石段を下りた。
「数井センパイ、いい鏡開きでしたね」
「え、そうかな」
さっき蛇の囲いだか女の嫉妬だかに巻き込まれたような気もするけれど。ふみちゃんはあれも織り込んでいい鏡開きだったと言っているのかな。顔がすっきり健やかだから何も問い返せなかった。
「うちは鏡餅を開いたら油で揚げてあられにするので、生徒会室のおやつに持って行きますね」
並んで食べるところを想像するとすごく嬉しいんだけど、鏡餅が蛇のとぐろをかたどってるとか言われたものだから、何だか少し背中がゾワゾワする感じだった。あんな由来、聞かなかければ良かったと内心後悔しつつ、ぐっと飲み込んだ。
「うん、いいね。楽しみにしてるよ」
「袋いっぱい持って行きます!」
どんな袋サイズかわからないが、それを考えるのはやめ、帰りのバスで温まりながら帰路に着いた。帯の出来事があったせいか変な脱力感があり、ふみちゃんとは別に進展はない。しゃらっしゃらっとやんわり揺れる紅白の髪飾りを並んで見おろしながら、ふみちゃんを家の神社までゆっくり歩いて送り届けるだけだ。
(了)
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