「後輩書記とセンパイ会計、銀梅の囁きに挑む」(作:青砥十)
開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば漫画の神様と称される手塚治虫の親友にだってなれた――は言い過ぎか。ただ、ふみちゃんは小学校時代、自由研究で日本の漫画の歴史と変遷をみっちり調べて、新聞に取材されたほどの上級者だったらしい。もちろん、ふみちゃんは漫画だけでなくすべての本が好きで、歩いて行ける近所の図書館に通い、ありとあらゆる分野を読み込んでいるらしい。
しかし、いまふみちゃんと一緒に近所の図書館に訪れた一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの本知らずで、数学が得意な理屈屋で、一応今日は読書用の眼鏡を持って来たが、試しに『まんが・世界のめがねの歴史』というのを一冊借りて机に広げたところだった。何の需要でこんな本を作ったんだろうか。
そんな、二月九日。日本漫画に詳しいふみちゃんの話では、今日は手塚治虫の命日で、「漫画の日」に制定されているそうだ。それもあり、図書館では普段は書庫に保管されている古い漫画雑誌が展示されていて、ふみちゃんはそれを鑑賞しに行きたいと言い、僕はコートに身を包んで何となくついて来たのだった。ふみちゃんは黒髪を両サイドに自然に分けてリボンで結んでいるが、珍しく真っ赤なリボンで黒と白のラインが入っている柄だった。何か理由があるんだろうか。
「今日は白いリボンじゃないの?」
「数井センパイ、違います。これは手塚先生の女騎士のリボンです」
と、即座に否定されてもいまいちピンと来なかった。手塚治虫の作品に何か関係あるんだろうか。館内でコートとマフラーを脱ぐと、ふみちゃんの今日の服は、青地に白い大きな襟と肩が丸くふくらんだデザインで、青いスカートにベルトをつけ、白タイツと白い靴だった。制服姿を見慣れているが、青と白を取り合わせた私服も似合っている。
とりあえず、手塚治虫の描いた初期の漫画本も何冊か展示されているらしく、ふみちゃんの横からショーケースを覗いてみると、古い漫画のいくつかは大判のカラーで、紙が一枚一枚分厚い感じだった。昔は絵本みたいだったんだな、と少し驚く。今のコミックスの軽さとは全然違い、この頃はカバンに入れてちょっと読むという生活スタイルではなかったみたいだ。最近ではタブレット端末で読んでいる人もいるらしいから、当時の漫画家たちが見たら目を丸くするのではないだろうか。
いろんな古い漫画の展示品を一通り見終わると、ふみちゃんは今日読むつもりらしい服飾関係と植物の本を数冊取ってきて、イスに座った。僕は隣りに座るか向かいに座るか一瞬迷ったが、ふみちゃんが隣りのイスをぽんぽんと手で叩いたので、そこに座ることにした。確かに静かな図書館ではこっちのほうが小声で話しやすい。というか、図書館で小声で話すというのは、どうしてこんなにドキドキするんだろうか。
「数井センパイ、今日は『服の日』でもあり、『福の日』でもあるんですよ」
「んっ? ん?」
ふみちゃんが漢字の違いと由来を説明してくれる。要するに語呂だった。「福の日」ってのは縁起がいいね、と僕は答えた。
「はい、だからこの日に生まれた人は、幸福なのは義務なのです」
何だかどっかで聞いた気がするフレーズだが、まあ、よく思い出せないからいいか。
ふみちゃんはまず植物の本を広げた。索引で誕生花を引いてみると【ギンバイカ(銀梅花)】という小さな白い可愛らしい花が出た。写真を見ると、白いおしべが線香花火みたいに放射状に咲いた花だ。
ただ、驚いたのはそれがフトモモ科フトモモ目と書いてあることだった。植物学者は一体どういう分類をしたんだ。どう見てもこの白い花が太ももには見えないし、白タイツのふみちゃんの太ももを見ても、いや、たまたま今日は白で共通しているだけだけれど、そんなのは関係ないはずだ。

「数井センパイ、違います。フトモモは【蒲桃】という字を書くんですよ」
「えっ……いや……」
何も言ってないのに、ふみちゃんがノートに正しい漢字を書いてくれた。僕はももが桃だと知り恥じ入ったまま、返答に詰まる。そんな僕の戸惑いを見透かして責めるつもりかわからないが、ふみちゃんはイスを動かし、僕のそばにさらに寄ってきた。緊張するほど近い。
「銀梅花は、花言葉がとっても素敵なんです。ギリシャ神話の女神がこの花に変えられた伝説からみたいですけど、花言葉は『愛の囁き』なんですよ」
で、言葉を止める。目をじっと覗き込んでくる。
ぼっ――僕にどうしろ、と。何を囁け、と。
呼吸を整えて、話を総合する。文系の女の子に言えて理系の僕に言えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探る――いや、頑張るしかない。
「かっ……可愛い服だね」
ふみちゃんの笑顔がふんわりと花が咲いたように明るさを増す。
「数井センパイ、好きですか? これ、お母さんが作ってくれました!」
喜んでくれて緊張が少しほぐれる。
「いいと思うよ。うん、すごく、いい。ふみちゃんに似合ってる」
「銀梅花は二月九日の誕生花ですが、花が咲くのは六月なんです。写真じゃわかりませんけど、とっても香りのいい花なんですよ。純潔の白の象徴として、結婚式のお祝いで花嫁のブーケにも使われる花なんです。だから、この花に縁がある人は、周りのいろんな人に祝福されて、幸福になるのは――義務なんです」
僕は、ひとつの物がこの時代まで愛され続けた由来を知り、それをこんなに楽しそうに語るふみちゃんを素直に愛らしいと思う。ただ、ちょっと興奮して囁きを超えている気がした。僕はふみちゃんの頭を優しく撫でる。
「女神の成り変わりなんだね」
「はいっ。数井センパイ、合ってます」
今日は久しぶりに図書館へ一緒に来て、『愛の囁き』という花言葉を知ったけれど、ふみちゃんとは別に進展はない。眼鏡の歴史の本を半日かけて読み終えて本棚に返した後、閉館時間の放送にも気づかず夢中に本を読んでいるふみちゃんの背中をぽんぽんと叩き、コートとマフラーを着て、寒空の二月、ふみちゃんの家まで送ってあげるだけだ。
(了)
青砥です。二月九日の誕生花にちなんだ話を書きました。
お読みくださり、ありがとうございました。
気に入ってくださったら、拍手やコメントやツイートなどぜひどうぞ。
しかし、いまふみちゃんと一緒に近所の図書館に訪れた一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの本知らずで、数学が得意な理屈屋で、一応今日は読書用の眼鏡を持って来たが、試しに『まんが・世界のめがねの歴史』というのを一冊借りて机に広げたところだった。何の需要でこんな本を作ったんだろうか。
そんな、二月九日。日本漫画に詳しいふみちゃんの話では、今日は手塚治虫の命日で、「漫画の日」に制定されているそうだ。それもあり、図書館では普段は書庫に保管されている古い漫画雑誌が展示されていて、ふみちゃんはそれを鑑賞しに行きたいと言い、僕はコートに身を包んで何となくついて来たのだった。ふみちゃんは黒髪を両サイドに自然に分けてリボンで結んでいるが、珍しく真っ赤なリボンで黒と白のラインが入っている柄だった。何か理由があるんだろうか。
「今日は白いリボンじゃないの?」
「数井センパイ、違います。これは手塚先生の女騎士のリボンです」
と、即座に否定されてもいまいちピンと来なかった。手塚治虫の作品に何か関係あるんだろうか。館内でコートとマフラーを脱ぐと、ふみちゃんの今日の服は、青地に白い大きな襟と肩が丸くふくらんだデザインで、青いスカートにベルトをつけ、白タイツと白い靴だった。制服姿を見慣れているが、青と白を取り合わせた私服も似合っている。
とりあえず、手塚治虫の描いた初期の漫画本も何冊か展示されているらしく、ふみちゃんの横からショーケースを覗いてみると、古い漫画のいくつかは大判のカラーで、紙が一枚一枚分厚い感じだった。昔は絵本みたいだったんだな、と少し驚く。今のコミックスの軽さとは全然違い、この頃はカバンに入れてちょっと読むという生活スタイルではなかったみたいだ。最近ではタブレット端末で読んでいる人もいるらしいから、当時の漫画家たちが見たら目を丸くするのではないだろうか。
いろんな古い漫画の展示品を一通り見終わると、ふみちゃんは今日読むつもりらしい服飾関係と植物の本を数冊取ってきて、イスに座った。僕は隣りに座るか向かいに座るか一瞬迷ったが、ふみちゃんが隣りのイスをぽんぽんと手で叩いたので、そこに座ることにした。確かに静かな図書館ではこっちのほうが小声で話しやすい。というか、図書館で小声で話すというのは、どうしてこんなにドキドキするんだろうか。
「数井センパイ、今日は『服の日』でもあり、『福の日』でもあるんですよ」
「んっ? ん?」
ふみちゃんが漢字の違いと由来を説明してくれる。要するに語呂だった。「福の日」ってのは縁起がいいね、と僕は答えた。
「はい、だからこの日に生まれた人は、幸福なのは義務なのです」
何だかどっかで聞いた気がするフレーズだが、まあ、よく思い出せないからいいか。
ふみちゃんはまず植物の本を広げた。索引で誕生花を引いてみると【ギンバイカ(銀梅花)】という小さな白い可愛らしい花が出た。写真を見ると、白いおしべが線香花火みたいに放射状に咲いた花だ。
ただ、驚いたのはそれがフトモモ科フトモモ目と書いてあることだった。植物学者は一体どういう分類をしたんだ。どう見てもこの白い花が太ももには見えないし、白タイツのふみちゃんの太ももを見ても、いや、たまたま今日は白で共通しているだけだけれど、そんなのは関係ないはずだ。

「数井センパイ、違います。フトモモは【蒲桃】という字を書くんですよ」
「えっ……いや……」
何も言ってないのに、ふみちゃんがノートに正しい漢字を書いてくれた。僕はももが桃だと知り恥じ入ったまま、返答に詰まる。そんな僕の戸惑いを見透かして責めるつもりかわからないが、ふみちゃんはイスを動かし、僕のそばにさらに寄ってきた。緊張するほど近い。
「銀梅花は、花言葉がとっても素敵なんです。ギリシャ神話の女神がこの花に変えられた伝説からみたいですけど、花言葉は『愛の囁き』なんですよ」
で、言葉を止める。目をじっと覗き込んでくる。
ぼっ――僕にどうしろ、と。何を囁け、と。
呼吸を整えて、話を総合する。文系の女の子に言えて理系の僕に言えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探る――いや、頑張るしかない。
「かっ……可愛い服だね」
ふみちゃんの笑顔がふんわりと花が咲いたように明るさを増す。
「数井センパイ、好きですか? これ、お母さんが作ってくれました!」
喜んでくれて緊張が少しほぐれる。
「いいと思うよ。うん、すごく、いい。ふみちゃんに似合ってる」
「銀梅花は二月九日の誕生花ですが、花が咲くのは六月なんです。写真じゃわかりませんけど、とっても香りのいい花なんですよ。純潔の白の象徴として、結婚式のお祝いで花嫁のブーケにも使われる花なんです。だから、この花に縁がある人は、周りのいろんな人に祝福されて、幸福になるのは――義務なんです」
僕は、ひとつの物がこの時代まで愛され続けた由来を知り、それをこんなに楽しそうに語るふみちゃんを素直に愛らしいと思う。ただ、ちょっと興奮して囁きを超えている気がした。僕はふみちゃんの頭を優しく撫でる。
「女神の成り変わりなんだね」
「はいっ。数井センパイ、合ってます」
今日は久しぶりに図書館へ一緒に来て、『愛の囁き』という花言葉を知ったけれど、ふみちゃんとは別に進展はない。眼鏡の歴史の本を半日かけて読み終えて本棚に返した後、閉館時間の放送にも気づかず夢中に本を読んでいるふみちゃんの背中をぽんぽんと叩き、コートとマフラーを着て、寒空の二月、ふみちゃんの家まで送ってあげるだけだ。
(了)
青砥です。二月九日の誕生花にちなんだ話を書きました。
お読みくださり、ありがとうございました。
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