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忘失の底から (作:楽遊) <希望の超短編>

 わたしは人の心というものをなくしてしまったようです。
 何にも感じないのです。どんな笑い話もどんな悲しい話と同じです。どんな悲しい話もどんな笑い話と同じに、ああ、誰か何か言ってるな、くらいにしか思いません。どんなに怒られてもどんなに脅されても、ああ、何か言われてるな、くらいにしか思えないのです。
 いつからこうなったのでしょうか。わかりません。少しずつなくしていった気もしますし、いつか急になくしてしまった気もします。
 優しい方はこんなわたしを励ましてくれます。でも何を励まそうとしているのでしょう。
 厳しい方はこんなわたしを軽蔑してくれます。でも何を軽蔑しているのでしょう。
 励まされるも、軽蔑されるも、わたしにとっては同じことでありますのに。

 ある時、立ち寄ったお店でご飯を食べながら思いました。何でわたしは生きているのでしょう。
 理屈で考えればわたしは生きていてはいけない人間ではないようです。しかし、生きていなくても構わない人間でもあるようです。
 心はなくてもおなかは空くので働いていますが、特別わたしでなくてはならない仕事を任されているわけではありません。人を愛することもありませんから家族もありません。友達もいません。ただ朝起きて、食べて、食べるためだけに動いて、寝る。それだけの存在が一つなくなったくらいでどうにかなる社会でもないでしょう。
 ご飯を食べ終えたとき、わたしは死のうと決めました。生きても死んでも同じなら、死のうと。心はなくても眠くなります。それと同じことです。
 心はなくても味は感じますから、ご馳走様、美味しかったと店主に美味しかった分だけ伝えて店を出ました。
 しばらくわたしはどう死のうかと考えながら歩きました。こだわりはありませんから死ねればいいのです。とにかく歩いてみました。一度も止まらず歩いてみました。赤信号も、遮断機の降りた踏切も、止まらず歩いてみました。
 気が付けば家でした。
 わたしは死ななくてはならないと思い詰めることもありませんから、その日はそのまま寝てしまいました。
 いつか死ねればいいのです。わたしは一年くらい死ぬ機会もないので生き続け、ふとまたあの店に立ち寄りました。
 店は前とは変わった様子で、混んでいました。
 わたしが店に入ったときのことです。大きな声が上がりました。
 店主でした。彼がわたしを見るなり駆け寄ってきて、言ったのです。
「あなたのおかげです。あなたが私を救ってくれたのです」
 どうやら一年前、店主は店がうまくいかず、苦悩していたようです。そこにわたしに美味しかったとたくさん言われて、とても嬉しかったのだそうです。彼の中ではわたしは恩人になっていました。美味しいものを美味しいと言っただけですのに。
「ありがとう」
 それなのに感謝されてしまいました。
「ありがとう」
 ありがとう、その言葉は不思議と耳に残りました。
 わたしはただ生きて、ただ食べて、ただ感想を言っただけなのです。それだけなのに人に感謝され、感謝した人は頑張って、今ではたいそうな繁盛店です。美味しいご飯に笑顔があふれています。
 ありがとう?
 今思えば、どうやらわたしは人の心というものをなくしてしまったのではなく、自分の心というものを感じられなくなっていただけであったのでしょう。
 なくしてしまったと思っていた心は、いつでもわたしのそばにあったのです。
 わたしは美味しいご飯を食べました。
 今度は気をつけて帰りました。
 家に着き、玄関を閉めたとき、わたしはなぜか突然、泣き出しました。
 後から後から涙がこぼれます。止まりません。止められもしません。わけも分からないまま、ただ胸にこみ上げる熱いものが声となります。わんわんと、わんわんと、その日、わたしは赤子のように泣いたのです。



 わたしの話はこれでおしまいです。
 あのお店は今も美味しいご飯を出してくれています。
 え? ええ、ええ、はい。はい、よう御座います。いつでもご案内いたしましょう。確かに今、お約束いたしました。良い時にでもお声をおかけくださいませ。お待ちしています。
 さて、長々とつまらない話ではありましたが、ご静聴いただいた皆様には心からの御礼を申し上げます。
 ここまでお付き合いいただき、本当に、ありがとうございました。

 それでは皆様お元気で。
 いつか、また。

(おわり)


著作権は作者にあります。
作者コメント:字数オーバー。……ご、ごめんなさい。
管理人コメント:正直者の頭に神宿る。そして、希望は広い心に宿ります!

疲れた心に安らぎと光明を。みんなに届け、希望の超短編。
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テーマ : 超短編小説
ジャンル : 小説・文学

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プロフィール

sleepdog

Author:sleepdog
幻想、冒険、恋愛、青春などをテーマにした短編小説をいろいろ書いています。子供のころから妖怪が大好きで、最近は結構ゆるふわなものが好みです。 生まれは群馬県前橋市。現在、名古屋市在住。どうぞよろしくお願いします。

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