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新潟妖怪奇譚 雪夜の赤子攫い

 冬の新潟は、想像以上に雪深かった。
 二月二日、「夫婦の日」だと言われるが、出雲主馬(かずま)と出雲あやの夫婦はそれどころではなかった。本当なら翌日の二月三日に一歳の誕生日――初めての誕生日を迎える一人娘のふみのために、家でのんびり誕生日会の準備をしているはずだったが、あやの親友から緊急の電話が入り、一大事が起きてどうしても来てほしいというので、主馬の運転する車で高速道路をひた走り、新潟の魚沼市までやって来たのだ。あやは助手席で娘のふみを抱っこしている。関越自動車道は関越トンネルあたりから一帯は大雪で、新潟県に入るとまさに猛吹雪だった。温泉で名高い湯沢を通過し、魚沼で一般道に下りて、親友の嫁いだ家に急いだ。
「……あや、ふみは寝たのか?」
「うん、お乳飲んで寝てる」
「そうか、お前もふみも寒くないようにしてな」
「うん、大丈夫。準備してきた」
 主馬もあやもまだ二十代半ばの若い夫婦で、初めての子供だ。親友の一大事という緊迫した状況で夫婦の間に短い会話しか出ないが、それでも互いを信頼し合う絆があった。
 親友の家に無事着くと、家族や警察が入り混じっての大騒ぎになっていた。一瞬自分たちは関係者じゃないから某探偵少年みたいに都合よく入れないかと思っていたら、親友が大粒の涙をこぼして家の中から飛び出してきた。あやがさっき到着を知らせるメールを送ったのだ。
「妙(たえ)ちゃん、いったいどういう騒ぎ?!」
 親友の名は越野(こしの)妙といった。あやは妙から昨晩電話が来た時にあらましは聞いていたが、妙は気が動転していて要領を得なかったので、思い切って車で直接来て正解だった。ちょっとした友達の相談事レベルではない。明らかに何らかの事件が起きている。
 外の寒さはきついので、妙はすぐ家の中に入れてくれた。警察がいると言っても家族の知人の顔をしていれば普通に入れたので、灯油ストーブが効いた温かいリビングに通され、主馬とあやはコートを脱いだ。妙の旦那さんが熱いお茶を入れてくれる。顔は蒼白だが、彼は妙から出雲夫婦が何者なのか聞いている様子だ。妙は赤い目を拭いながら事情を話し始めた。
「一回話したと思うけど、うちの子が、昨日の晩……忽然と消えちゃったのよ」
「……ひかりちゃん、まだ見つからないのね? どれくらい探したの?」
 あやは落ち着いて尋ねる。ひかりは妙の娘の名前だった。妙は嗚咽混じりに必死に話す。
「き、昨日の夜もいっぱい探したし、け、今朝もいっぱい探したし、家の中は全然いないし、ご近所とかにもいないし、恐くなって警察にも連絡を入れたの」
「でも――電話だと、警察じゃどうにもならないかも、って言ってたじゃない」
「うん……だ、だって、ヤサブロバサに攫われちゃったんだもん! あたし昨日の夜、見たの!
吹雪の中を飛んでいく白髪の鬼婆を! もう、絶対食べられちゃう!」
 大泣きしながらテーブルに突っ伏して、どぅわああああ……と激しく悲嘆の声を上げた。 
 ヤサブロバサ――主馬は初めて聞くものだったが、あやは大学で妖怪の研究をしていた頃に少し調べたことがあった。ただ、ここでヤサブロバサの説明を情緒不安定な妙から聞いている暇はない。むしろそれを知っているという理由で、あやは親友に助けを乞われたのだ。詳しいから解決できるとは限らないが、今日は自分一人でなく由緒ある厄除け神社の神主をしている主馬がいる。主馬と一緒なら何かできるかもしれない、そう信じて馳せ参じたのだった。
「妻は確かに見たって言ってるんですが、その……吹雪の中を飛ぶ老婆なんて、嘘みたいな話ですよね。もうどうしたらいいのかと……」
 旦那さんが口を開いた。あやもその気持ちはよくわかる。普通の感覚ではついていけない。
「まあ、子供を攫う鬼婆の伝説は日本各地にありますが、【飛行タイプ】は珍しいですね」
 あやは腕を組みながら答えた。
「飛行タイプ……」
 旦那さんがそう言って口ごもったので、あやは再び妙の目を見た。激しく動揺はしているが、正気ではある。妙は幼い頃から特殊な感受性があって、不思議なものを見る力があるそうだ。それであやと同じ大学に入ってきて、一緒に妖怪を分類調査研究して親友になったのだ。実はあやも似た感受性があったが、娘のふみを産んでからそれが何となく薄れつつあった。しかし、今は妖怪調べに共に青春を費やした大切な親友のため、吹雪の中を突き進まなければならない。もう出雲夫婦の覚悟はとっくに固まっていた。
「妙、あなたはここで赤ちゃんが帰ってくるのを待っていて。気をしっかり持って旦那さんや警察に協力してね。大事な役目だからね。わたしはこの相棒とともに――ヤサブロバサを絶対探し出してくるから!」
 ねっ♪ と勝ち気な笑顔で振り返ると、主馬はにこっと微笑み返した。
「ああ、一刻を争う事態だな。やれるだけのことをやろう。老婆が吹雪を飛ぼうが跳ねようが関係ない。赤ちゃんを母親の胸の中に取り戻す。それだけを願って力の限りを尽くそう!」
 威風堂々と言い放つ主馬の厚いセーターの胸には『愛』と大きく漢字が書かれていた。

 警察は誘拐事件の疑いもあるとして捜査を始めているそうだが、手掛かりはまだなく、そちらの対応は妙と旦那さんに任せて、出雲夫婦は車の中で自分たちの行き先について話し合った。主馬は神主として日本の神々や厄除けの神具や護符の類いは精通しているが、ヤサブロバサのことは十分知っているわけではない。あやはふみにお乳を飲ませながら、ヤサブロバサがなぜ飛行タイプかを話した。ふみは窓の外の吹雪を気にせず嬉しそうに飲んでいる。
「ヤサブロバサは弥三郎(やさぶろう)の婆さまと書くの。吹雪の夜に来て、悪い子をつれていく、という子供のしつけみたいな感じよ」
「ひかりちゃんが悪い子だってのか?」
「夜泣きはよくするって聞いたけど、赤ちゃんだし悪い子ってことはないと思う。問題は婆さのほうにあるわ。同じ新潟県内でもヤサブロバサの話は、魚沼、長岡、柏崎、上越とかで結構違いがあるんだけど、魚沼に伝わってるものは赤子攫いで、しかも飛ぶのよ」
「飛ぶのはわかった。どの道そこは手を講じないといけない。で、何で鬼婆になったんだ?」
 主馬は飛行タイプに対して手を講じると言ったが、どう講じるのかあやは少し気になった。まあ、主馬と出会った際に災厄から助けてもらった時は、主馬は軽やかに跳躍して巨大な怪物を一刀両断したのだが、今回はこの吹雪だ。とりあえず考えるより主馬の問いに答えた。
「弥三郎ってのは山で狩りをする猟師だったんだけど、吹雪の山に入って帰らぬ人となって、奥さんは悲しみのあまり後追いで死んでしまい、乳飲み子とお婆さんが残されたんだけど、赤ちゃんもひもじさから死んでしまって、気が触れたお婆さんが赤ちゃんの死肉を食べてしまい、それを見つけた村人がお婆さんを村から追い出し、挙句の果てに吹雪に乗って飛び、村の子供を攫う鬼婆と化したらしいの」
「……相当危険だな」
「あと、南魚沼だと少し話が変わって、弥三郎のところのお婆さんが、孫がかわいいあまりに食べてしまい、それで鬼と化して弥彦(やひこ)へ飛び去った、と言われているの。しかも、こちらの鬼婆は改心して神仏、善人、子供の守護に尽くし、妙多羅天女(みょうたらてんにょ)になったという話が残ってるのよ」
「なるほど、天女か」
「そう。何で飛ぶのか考察していくと、妙多羅天女が多少関係している気がするのよね。どう、何か糸口が掴めそう?」
 あやは抱いているふみの満足げな笑顔を見つめた。母親になってわかったが、いかなる理由や怪奇現象であれ、自分のおっぱいを無心で吸う乳飲み子と一晩以上引き離されるなんて身を裂かれるのも同然だ。妙の心中の乱れ具合はきっと周囲が想像する以上だと思うのだ。
「あやはどこへ一番向かうべきだと思う? 早く見つけないと鬼婆に赤ちゃんを食われてしまいかねない。だが、ヤサブロバサの伝説が残る新潟の各地を巡っている暇もないぞ」
「それなら、妙多羅天女が祀られている弥彦村の宝光院に行きましょ。だって、ヤサブロバサは改心したはずなんだもの。どうして再来したのかを突き止めないと」
「よし、すぐ向かおう」
 主馬はハンドルを力強く握ると、ずっと止まない吹雪の中へと車を走らせた。

 魚沼から弥彦村は決して近くない。再び関越自動車道に入り、長岡ジャンクションから北陸自動車道を通った。高速道路とは言え、雪道で速度は上げられないし、赤ん坊のふみを乗せている。慎重な運転で、一般道へ下りて海沿いの弥彦山をめざした。屋根も田んぼも畑もみんな真っ白な雪に覆われ、雪国の景色が低く広がっている。燕市の市街地を抜けると、弥彦山の峰が見えてきた。助手席であやが見ている道路地図によると、弥彦山の山頂ロープウェイの手前に弥彦神社や宝光院などがあるようだ。こんな吹雪でロープウェイが営業しているか不明だが、その手前で曲がり、雪かきされた民家のある小道を縫って、宝光院に到着した。
 こじんまりした閑静な寺院で、当然ながら境内に参拝客の姿はない。ふみをしっかり抱えて車を降り、二人は足元に気をつけながら石段を少し昇って境内を歩くとすぐ本堂だった。
 念のため護身用の護符を構えて本堂を覗こうとする主馬を、後ろからあやが呼び止めた。
「主馬さん、実はこの本堂はあんまり関係ないの。宝光院の裏山に『婆々杉(ばばすぎ)』っていう樹齢千年の巨木があるらしくて、そこがヤサブロバサの因縁が宿った場所なの」
「その杉はどういう因縁があるんだ?」
「何でも、ヤサブロバサはその木に悪人の死体を引っ掛けて見せしめにしたとも言われるし、その木の下で改心して妙多羅天女となったとも言われるの。木のそばには妙多羅天女を祀る祠もあるみたいよ」
 あやが語るのも書物の知識からの話なので、現場に来たのは初めてだ。主馬は頷く。
「ますます何かありそうだな」
 雪の中に小さな立札があり、足下を気を付けながら本堂の裏山を少し登った。すると、そこに確かに巨大な一本杉が吹雪に包まれ生えており、周囲をぐるりと石の柵で護られていた。立札を見ると間違いなくこれが婆々杉だ。そして、主馬とあやは一目で異変を理解した。婆々杉の太い枝が一本折れていたのだ。
「これって……自然に折れちゃったのかしら……」
「どうやらそのようだな。人や動物が折ったという感じがしない。雪の重みでもなさそうだし、枝が朽ちて折れてしまったのかもしれない」
 婆々杉の折れた枝は根元に落下していた。上に雪が積もり始めていて、放っておけば春まで埋もれてしまいそうだ。あやは落ちた枝に近づき触ろうとすると、突然背筋に悪寒がした。
「ふみゃああああああっ!」
 二重に驚きが走った。胸に抱っこしていたふみが激しく泣き出したのだ。ふみはもちろんこの名前が先だが、偶然か「ふみゃあ」とよく泣いた。それはともかく、ふみは寒さや不機嫌さが相まって顔を真っ赤にして泣いたのかと思ったが、両目をハッキリと見開いて、手は空中を指差していたのだ。主馬も尋常ではない妙な気配を察知し、咄嗟にふみを囲んでくれた。
「あや、何かふみがおかしいぞ!」
「これって――やっぱりふみの感受性が鋭敏になってるの?」
 乳児の愛娘に見えて力が薄れる母には見えない何かがあるのか。あるとすれば探るしかない。
「ふみっ! どうしたの?!」
「ばあば、ばあば!」
 その口から発せられた説明は単純明快だった。間違いない、老婆が上空を飛んでいるのだ。こんな吹雪の日に飛行する老婆など、ヤサブロバサ以外にいるはずがない。ふみの指先が指す方向を見ると、婆々杉から近くの阿弥陀堂へと動いた。
「主馬さん、そこの阿弥陀堂へ入りましょ!」
 合点承知! という眼差しで主馬は阿弥陀堂のほうへ駆け下りた。標的の場所さえわかれば、主馬は手を打てる算段があると見える。あやも急ぎたかったが、ふみを抱えて転倒するわけにはいかず慎重に道を歩きながら阿弥陀堂へと辿り着いた。ふみはまだ「ばあば、ばあば!」とわめいている。赤ちゃんには極めて危険な相手なので、静かにさせようと背中をポンポンして落ち着かせ、ようやく泣き止んだ。前を行く主馬の背に声を掛ける。
「ヤサブロバサは夜飛び回るから、昼間はここに身を潜めてるのかもよ」
 そのときだ。先んじた主馬が阿弥陀堂の戸を開けると、なんと中から別の赤ちゃんの泣き声が漏れ聞こえたのだ。ふみとは違う声だし、ふみはもう静かになっている。参拝者の姿はない。こんな吹雪の寺院で赤ちゃんが泣いているなんて、どう考えても普通じゃない。
 主馬は急がずあやを待って、一緒に阿弥陀堂の中に踏み込んだ。主馬とて万一に備えて護符を構えているが、諸説あって対策の定まらない得体の知れない初見の相手だ。赤ちゃんの声が気になって仕方ないが、それでも慎重にならざるを得なかった。
 お堂の中は暗いが、雪明りでぼんやりと本尊の阿弥陀如来像が浮かび上がり、左に妙多羅天の額らしきものが見えた。さらに妙多羅天女の像が置かれ、子供の守り神として長年信仰されてきたと見え、黒っぽく変色して歴史を感じさせる趣だ。出雲夫婦は暗さに目を慣らしながら泣いている赤ちゃんの姿を探した。お堂の隅に――白髪の老婆が着物姿で座っている。
 ごくり、と生唾を飲む。迂闊に踏み込めないほど空気が張り詰めていた。
 お堂は屋根があり窓も閉まっているのに、中はなぜか外と変わらないほどの凍てつく寒さで、白髪の老婆はそれより冷たい目をして、入ってきた若い二人を見た。老婆のそばには赤ちゃんが横たわり泣いている。老婆は枯れ枝のような細い手で赤ちゃんの頬を撫でていた。それでもまったく泣き止まないのは、手が雪のように冷たいからでは――と勘繰りたくなる。
『……お前さんたち、護符を持っているね。あたしを祓いに来たのかい……?』
 老婆が口を開いた。主馬は懐に忍ばせた護符を握り締める。見てもいないのに見抜かれるとは――人間ではないかもしれない、と直感した。二人が黙っていると、老婆は続けた。
『年でさ、腕が一本折れちまったんだよ。治そうと思ってさ、人の里からかわいい赤ん坊をもらってきたんだ。もう何年も人の親のしつけを手伝ってきたんだ。多少は構わんだろ』
 本当に老婆が口でしゃべっているのか、あるいは頭の中にこだます幻聴のようなものなのか、出雲夫婦は思わぬ事態に息を詰まらせていた。端的に言えば、ヤサブロバサが見逃せと言ってきたのだ。だが、あやは相手が天女だろうと人喰い鬼婆だろうと退かない覚悟だった。
「いいえ、その赤ちゃんは連れて帰ります。生きて母親のところに返します!」
「あや……ああ、そうだな! 何としても取り返そう!」
 主馬は震えるあやの肩を逞しい腕で抱いて支えた。あやの勇気が一層高まる。
『――ほう、それが、あたしを弥三郎の婆アと知っての返事なんだね?』
 老婆はのっそりと立ち上がった。腰は曲がっているが、その細い体から猛吹雪が巻き起こり、戸口のほうへビュウビュウとうなるように吹き出してくる。この吹雪は一体どこから来るのか得体が知れない。顔や服が雪に覆われ、あやは抱いているふみを必死で雪から守った。ふみもさすがに鼻を赤くしてふみゅふみゅとぐずり出しそうになっている。すると、目の前に主馬の大きなコートの背が現れ、吹雪を遮ってくれた。あやは嬉しくて寒さをぐっと我慢する。
「婆さま、貴女は一度改心し妙多羅天女になったそうだが、その心はどこへ隠してしまわれた。どうか、ここで赤子を返し、退いてはくれまいか?」
『護符使いの若い衆よ、何を血迷い事をぬかしておる。こんなかわいらしい赤子を得たわしがおめおめ返すと思うのか! 血の一滴も残さず喰らうに決まっておろう!』
 説得が全然通じない。徐々に老婆の語調も荒々しくなってきた。食事を邪魔しにきた苛立ちを明らかに含み、吹きつける吹雪の強さも上がり、主馬も口元や指先がかじかんできていた。先に我慢の限界に達したのは、守るものが多い主馬のほうであった。
「ならば、仕方ない。やれるだけのことをやるまで!」
 主馬は懐から護符を抜き、老婆に向かって突進した。だが、甘かった。ヤサブロバサは――飛行する。ひらりとかわすと無数の雪粒を吹きつけ、護符を凍らせ八方に散らした。
『何じゃそのヒラヒラの紙切れは。氷雪と突風の力を持つわしに敵うと思ったか』
 老婆は下卑た高笑いをする。完全に凍らされ床に散り散りに落下した護符を見て、主馬は眉を曇らせた。護符は対象に当てずとも、それで印を象れば秘めた力を発動させられる。だが、吹雪にさらされるとなると状況は圧倒的に不利だ。あやも主馬の武器が通じないことをすぐに悟った。しかし、老婆を封じなければ赤ちゃんは救出できない。ここまで来たら諦めず何とかするしかないのだ。
「主馬さん、もっと接近しないと――」
「いや……接近など、ヤサブロバサがさせてくれるわけあるまい……くそっ!」
 若い主馬は厄払いの秘術を熱心に修めて、それなりの自信を持っていた。だからこそ独力で奪還できると意気込み――いや、己の過信だったかもしれないが、いざ未知の存在に対峙して、足元で冷たく凍った護符を見つめ、苦虫を噛み潰すように立ち尽くした。そのとき、緊迫した空気にふみは怯え、ふみゃあああああとまた泣き声を上げた。あやは慌てて隠そうとしたが、この小さなお堂では音が響いてしまった。
『ほう、後ろの女、赤子を抱えておるではないか。ひっひっひっ、今夜はご馳走だわい』
 ヤサブロバサは赤子の肉を喰らって傷んだ老体を癒したいのだ。別の赤子が目の前にいれば狙うのは必然。あやは急いでお堂を出ようとしたが、足がかじかんで立ち上がれなかった。
 まずい、まずい! ヤサブロバサが手を伸ばして迫ってくる!
 すかさず主馬が振り向き、上級な護符をあやの肩に貼りつけた。間一髪、主馬の咄嗟の判断で間に合ったのだ。ヤサブロバサは結界を生み出した護符を睨みつけると、苦々しい顔で邪魔くさい主馬に猛吹雪を吹きつけた。主馬は十分な防御が取れず、お堂の壁まで吹っ飛んだ。
「ぐうっ……! この老婆、どこが朽ちかけなんだ。現役バリバリじゃないか」
 主馬は両腕の氷雪を払いながら体勢を直す。あやはふみを連れてきたことを深く後悔したが、車に置いておくことも難しい。近くの家に助けを求めて逃げ込むか。だが、その間にも確実に妙の赤ちゃんは老婆に喰い尽くされてしまう。恐ろしさで腰が抜けて動けない以上、もう穴熊のようにふみの身を守り続けるしかなかった。あとは――主馬だけが頼りなのだ。
『まったく鬱陶しい護符使いだねぇ。面倒だから、先に氷づけにしてしまおうか』
 老婆は氷雪をまとって天井を旋回しながら、主馬に狙いを定めた。主馬が崩されれば絶望的になる。氷づけ――氷に対し、何か有効な手はないのか。あやは一瞬パッと頭に浮かんだことを思わず叫んだ。
「主馬さん! 【氷タイプ】は【炎タイプ】に弱いはず!」
 あやは某モンスターバトルゲームの初代の世代なのだ。主馬とは一緒に某センターに行ったことがないから知らないかもしれない。それでも主馬はぐっと握り拳で応えてくれた。
「なるほど、そういうことか。それならすぐそばの弥彦神社にうってつけのものがある!」
 弥彦神社は確かにこの宝光院の近くだが、この状況で別の場所に行けるわけがない。
「や、弥彦神社に行ってる暇なんかないよ!」
「ああ――だから、ちょっと呼ぶんだ」
 主馬は護符を懐に戻し、違う札に持ち替えた。枚数が少ない、とっておきの『召喚符』だ。日本の神々や神の力が宿る物体を呼び寄せる特殊な符。相当な神通力を使うので多用はできないが、ここぞという時に全身全霊の力を振り絞るためにあるのだ。
『ひゃひゃひゃ、符術にいくら頼ろうとも、お前の力じゃわしは捕えられんわっ!』
 ヤサブロバサが息巻いて主馬に襲いかかる。だが、主馬は冷静だった。
「炎タイプか。それならこれだ! 我が切なる求めに応じて助け給え! いでよ、弥彦神社の『火の玉石』!」
 その瞬間、召喚符が燃え上がり、ヤサブロバサは思わず怯んだ。召喚符が起こす炎の輪の中から『火の玉石』と呼ばれた二つの大きな石が真っ赤に焼けて現れた。焼き石の熱がお堂の中の温度を上げ、吹雪の勢いを抑える。二個の石にはしめ縄がかかっており、あやはこんな主馬の大技を見るのは初めてで、夢でも見ているようだった。主馬は標的を颯爽と指差す。
「火の玉石、ヤサブロバサを捕えろ!」
 勇ましく主馬が命じると、火の玉石のしめ縄が勢いよく伸びてヤサブロバサの体に巻きついた。老婆の顔は熱く苦しそうに歪み、火の玉石がずしっと重石となって飛行力を奪った。しめ縄はきつく老婆の体にからみ、吹雪にも凍ることなく二つの石は赤く燃え続けている。
 すごい……っ! あやは形勢逆転の一手に驚き感心した。【飛行タイプ】でもある標的に対し、弱点を突く【岩タイプ】の攻撃を出したのだ。主馬は本当にあのゲームを知らないのか疑いたくなるほど完璧だ。天性のセンスを感じる。【炎+岩】で何倍もの弱点を突けたことになる。
『この若造があっ! 年寄りに重石を付けるとは何たる不敬! だが、弥彦の火の玉石ごときで吹雪は止まらぬ。二度と帰れぬようフルパワーで永久凍土の氷づけにしてやるわ!』
 そうだ、これはあくまで標的の動きを抑えただけ。ヤサブロバサは大きく息を吸い込んで、力を溜めた。大技を繰り出そうとしている。激昂し、引き下がる気配は一切ない。
「主馬さん! すさまじく強烈な吹雪が来るよ!」
「ああ、火の玉石だけじゃ倒せない。大丈夫、大技を出すために少し時間を稼いだんだ」
 そう返す主馬は、すでにもう一枚特上の『召喚符』を構え、準備を整えていた。
「これをやったら、一週間は何もできないほど神通力を使ってしまう。だが、今やるしかない。 我が切なる求めに応じて助け給え! 厄難除災の不動明王よ、光背(こうはい)に輝く聖なる御力、ここに拝借たてまつる! いでよ、『迦楼羅焔(かるらえん)』!」
 主馬の構えた『召喚符』が真っ赤な強い光を放ち、その中から燃え盛る光背が現れた。これは不動明王が背負っている焔で、炎に包まれた聖鳥ガルダが前身となった『迦楼羅』の火焔だ。というか、不動明王は仏教のはずだが、なぜ神職の主馬が召喚できるのか、一種の神仏習合なのか、とにかく細かいことを気にしている余裕はなかった。主馬は迦楼羅焔を呼び出すなり、自分の背にまとった。あやは唖然とする。【炎+飛行】タイプの最強技の予感しかない!
 そして、主馬は体の前で両手を鳩のように組み合わせ、鳥の形にして狙いを定める。それと同時に、ヤサブロバサは我を忘れたがごとく奇声を上げ、超ド級の猛吹雪を吹き放った。
『凍えて死ねええええっ!』
「煩悩に狂える吹雪を焼き払え! 火奥義、『迦楼羅天翔弾』!!」
 上から迫る超絶吹雪と下から昇る迦楼羅の火焔がぶつかった瞬間、お堂を吹き飛ばしそうな衝撃波が走った。もしこれが日没後であったなら、夜の力がヤサブロバサに加勢していたかもしれない。あるいは弥彦の火の玉石の重石がなければ、老婆の吹雪は完全にフルパワーだったかもしれない。だが、時は夕刻、火の玉石で捕えた老婆をめがけて、迦楼羅の火焔砲は吹雪を焼き破り、その老体を猛火で包み込んだ。老婆の悲鳴がお堂に轟き、火の玉石の重みによって床に落下した。あやは息を飲み、言葉が出なかった。壮絶な決着だったのだ。
 だが、老婆だったものは古い布きれと化し、高熱と火焔によってお堂の床が燃え出した。
「主馬さん! 床が燃えてる!」
 あやが思わず叫ぶと、主馬は余裕の笑顔で振り向いた。すでにさらにもう一枚『召喚符』を構えていたのだ。
「仕上げだ。我が切なる求めに応じて助け給え! 火の神、火之迦具土神(ほのかぐつち)の御力、ここに拝借たてまつる。神の名において、火よ鎮まらん!」
 すると、床の火が瞬く間に縮こまって消えた。こうして主馬は合計三枚の『召喚符』を駆使して、赤子攫いの鬼婆の災厄を打ち破ったのだ。炎が弱点と知ってからの大技の連続はまさに圧巻だった。あやは火の温もりとともに恐怖から解放され、ようやく体が動いて、お堂の奥に横たわり泣いている赤ちゃんに駆け寄った。間違いない、妙の子供――ひかりだった。

 あやは写真を撮り、すぐ妙にメールと電話をした。妙は我が子の無事を知り、電話口でのどが潰れるくらい大泣きをした。隣りにいた旦那さんが一緒に喜びながら妙をなだめ落ち着いたので、見つけた場所を伝えると、妙は絶句していた。そう、この弥彦村の宝光院は、魚沼から高速を使って車で片道三時間かかったのだ。雪道で慎重な運転だったから時間が多めだったが、何者かが運んだとしか思えない距離なのだ。何者とは……つまり出雲夫婦が退治した飛行する老婆であった。妙は出雲夫婦にすぐ助けを求めたことを心の底から良かったと感じた。
「あや、ほんとにありがとう! 弥彦村ね、今から車でそっちに行くわ!」
「わかった。どこか温かい場所で待ってるから、安全運転で来てね」
 妙は涙をぬぐいつつ、赤ちゃんの着替えなどすぐ揃えて出かける支度を行った。旦那さんの運転で三時間ほど走り、夜に弥彦村に入ったが、吹雪はだいぶ弱まっていた。予報だと明日は晴れになるようだ。
 宝光院の付近のファミレスで、あやと妙は飛びつき抱き合って大喜びをした。あやは抱っこしていたひかりを妙にしっかり渡し、ひかりがお母さんの匂いに気づいて嬉し泣きをすると、妙もまた大粒の涙を流し頬ずりした。旦那さんは深々と出雲夫婦に頭を下げたが、主馬はあやの代わりにふみを抱っこしていたので、照れ臭そうにはにかみ笑いを返しただけだった。
「でね、妙、本当は早く帰りたいところだと思うんだけど、ひとつ相談があるの」
「どんなこと?」
 あやは携帯で撮ってきた現場の写真を見せた。宝光院の婆々杉が枝折れをしていることと、もしかするとその枝かもしれないと思われる黒焦げの古木だ。焼け焦げたのは退治の痕跡なので問題ないが、今回は無事ヤサブロバサから赤ちゃんを取り返せたけれど、供養が要ると思う、とあやは結んだ。
「わかった、供養はちゃんとしてもらうわ。宝光院さんにも私たちから話すから」
「ありがとう。そうしてくれると助かる。じゃあ、後は任せるね」
 あやと妙は屈託ない笑顔を交わした。まるで学生時代を思い出したような感じだ。
「それでね、御礼なんだけど魚沼産のコシヒカリを一年分贈りたいの! ふみちゃんの離乳食にもできるよう無農薬にするね。あ、一応聞くけど、お米のアレルギーとかは大丈夫かな?」
「えっ? う、嬉しいけど、そんなにたくさん置けないよ。アレルギーは大丈夫だけど」
「一度に一年分は送らないよ。毎月送ってあげる。お願いもらって! それくらいしたいの!」
 あやはお言葉に甘えることにした。魚沼産コシヒカリは最高級ブランド米だ。それを離乳食で毎日食べられるなんて、ふみはなんて恵まれた子供なんだろうとあやは苦笑した。今はもう疲れてあやの胸ですやすや眠っている。特殊な感受性が覚醒して、ヤサブロバサの姿を捉えた出雲家の大事な一員として、明日には一歳の誕生日を迎えることになる。
 こうして妙の緊急事案は解決し、妙の家族は魚沼に車で帰っていった。その後、主馬と少しファミレスで話していると、主馬がイスに座る時に背中を痛がっているのに気づいた。
「背中、どうしたの? 吹雪をくらい過ぎて凍傷でも起こした?」
 あやは主馬の横に座り、後ろ襟から背中を覗き込み、ハッとなった。背中の皮膚が真っ赤に腫れていたのだ。
「いや、逆だよ。火傷だろう。何しろあの迦楼羅焔を背負ったからね」
 のん気に笑っているが、結構痛みをこらえているように思う。脂汗も額に少しにじんでいた。あやは人目も憚らず、ぎゅっと正面から抱き着き、自分の親友のために全力を尽くしてくれた夫をこの上なく愛しく誇らしく思った。あんな大技そうそう出来るものじゃないと主馬の背中が息苦しいくらい物語っていたのだ。あやは提案する。
「ねぇ、湯治(とうじ)に寄らない? 弥彦にも温泉があるの」
「温泉か。いいね、当日泊で行けるかな?」
「すぐ探すね! ねえ、貸切風呂の混浴のお部屋にしていい? 背中流してあげたいの」
「え、ああ、任せるけど、当日泊で行けるかな?」
 主馬はもう今日の長距離運転は勘弁して、という顔をしていた。あやは微笑む。
「あるって! すぐ探すから!」
 あやは携帯でネット検索し、混浴の貸切プランを予約した。ちょっと値は張ったが、最高級の美味しいお米がこれから一年間届くわけだし、こんな贅沢も全然ありだ。明日は二月三日、ふみの日。温泉宿で我が子の誕生日祝いをするというのも乙な気分だ。あやはルンルン気分で予約完了! のピースサインを主馬に見せ、主馬もほっこり安らいだ笑顔で応えた。

(了)


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青砥 十

Author:青砥 十
幻想、冒険、恋愛、青春などをテーマにした短編小説をいろいろ書いています。子供のころから妖怪が大好きで、最近は結構ゆるふわなものが好みです。 生まれは群馬県前橋市。現在、奈良県在住。どうぞよろしくお願いします。

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