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「水溶性」

 妻や娘たちを喜ばせようと、浴室に水溶性の世界を構築する。
 きっかけは数年ぶりに寄った画材屋だった。絵の趣味から離れて久しかったが、腕はまだ衰えていなかった。妻がずっと憧れていた南国のリゾートホテル、芸術肌の長女が言っていた宮殿風の大理石の巨大浴室、少し古風な次女が行きたがっていた山奥の露天風呂、たまには宇宙船の眺めなんてのもどうだろう。何を描いても水で流せばすぐ溶ける奇妙な絵の具で、天井や壁を自由に旅行気分で塗り替えていく。
 ひとつの情景が完成するまで一週間はかかるが、それまで誰もこの風呂で入浴することは無理だ。制作期間中は妻も娘たちも静かに何が完成するかを楽しみに待ってくれる。
 今日、新作ニューヨークの夜景が完成した。仏壇に線香を上げ、押入れから妻と娘たちを担ぎ出す。手足や腰を折り曲げ浴槽に座らせて、その中でシャワーをかけ服を脱がしてやる。浴室にピチャピチャと三人の嬌声が響く。
 落ち着いたら私も服を脱ぎ浴槽に入る。一番小さい次女を抱っこして、肩までぬるい湯を満たし、アロマ液を少し垂らすと、世界のどこにもない家族の時間が香り立つ。胸一杯に吸いこむと、向かいで妻はうっとり微笑んでいた。

(了)

 
「500文字の心臓」タイトル競作投稿作品です。このタイトルから渾身に恐さと寂しさを込めた作品です。
そこそこの票が入ったんですが、王様まであと一歩でした。でも、あと一歩が遠いんだよなぁ。
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プロフィール

青砥 十

Author:青砥 十
幻想、冒険、恋愛、青春などをテーマにした短編小説をいろいろ書いています。子供のころから妖怪が大好きで、最近は結構ゆるふわなものが好みです。 生まれは群馬県前橋市。現在、奈良県在住。どうぞよろしくお願いします。

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